港南剣友会 創立五十周年記念誌  

港南剣友会は、昭和45年7月に港南警察署道場にて主に小・中学生を対象として発足しました。その後、昭和46年10月より市立桜岡小学校体育館を稽古場に移し現在に至ります。昭和49年前後には会員数が一時500名以上を数えた時期もあり、指導者と場所を分けて各方面に稽古の場を広げたことが、近隣の剣友会発足のきっかけともなっています。創立当時の初代会長 杠(ゆずりは)文吉先生より始まり、現在は田野井一雄会長、吉田仁副会長、伊東廣明相談役をはじめ、七段6名、六段1名、五段18名の指導陣を含め、一般37名、学生23名、総勢60名の会員数を有しています。学生時代から継続して剣道を続けている会員や、数十年ぶりに剣道を再開した会員、親子で入会して大人から剣道を始めた会員など、様々な経歴の会員が稽古に励んでいます。

ここでは、港南剣友会創立五十年の歴史を振り返り、当時の資料を交えながら、その「あゆみ」をご紹介致します。


 

昭和49年当時の集合写真



■歴代会長・役員

先ずはじめに、創立当初から令和元年の現在に至る歴代会長と役員を以下にご紹介します。

各々、当時の会員名簿や大会記録に残された資料を基に記載していますが、抜けている年度も多く正確ではありません。あくまで目安となります。昭和54年頃までは会長以下理事長、理事の役職でしたが、その後、長田良会長の代からは副会長、指導部長といった役職となりました。

西暦 和暦 会長 理事長 理事
1970-1973 S45-S48 杠文吉 石渡清治 木梨実、大井忠勇、荒木敏治、関根義規、伊東廣明
1974-1975 S49-S50 杠文吉 木梨実 渡部昭、大井忠勇、石渡清治、横沢伸典、伊東廣明
1976-1977 S51-S52  杠文吉 木梨実 大井忠勇、石渡清治、横沢伸典、伊東廣明、伊藤靖
1978 S53 杠文吉 石渡清治 木梨実、大井忠勇、三橋武夫、相田玲二、伊東廣明
1979 S54  高橋源寿 木梨実 畑一郎、石渡清治、相田玲二、伊東廣明、吉野正
西暦 和暦 会長 副会長 指導部長 副指導部長
1980-1982 S55-S57 長田良 畑一郎、相田玲二、伊東廣明 伊藤靖
1983-1984 S58-S59 長田良 畑一郎 相田玲二 伊東廣明、伊藤靖
1985-1987 S60-S62 長田良 畑一郎 相田玲二 伊東廣明、吉野正
1988 S63 長田良 畑一郎 相田玲二 伊東廣明、児玉裕由
1989-1991 H1-H3 長田良 荒井正己、田野井一雄、畑一郎 相田玲二 伊東廣明、児玉裕由
1992 H4 荒井正己 田野井一雄、畑一郎 相田玲二 伊東廣明、奥田政紀、猿渡隆郎
1993-1996 H5-H8 荒井正己 田野井一雄、相田玲二、師範菅原良 伊東廣明 猿渡隆郎、吉野正、清島保
1997-2000 H5-H12 荒井正己 田野井一雄、相田玲二、師範菅原良 伊東廣明 清島保、吉野正
2001-2004 H13-H16 田野井一雄 相田玲二、菅原良 伊東廣明 清島保、吉野正
2005-2007 H17-H19 田野井一雄 相田玲二、菅原良、坂ノ上誠 伊東廣明 清島保、佐藤則夫、吉田仁
2008-2010 H20-H22  田野井一雄 相田玲二、伊東廣明 坂ノ上誠 佐藤則夫、吉田仁、児玉成時郎
2011-2012 H23-H24  田野井一雄 相田玲二、伊東廣明、坂ノ上誠 児玉成時郎 佐藤則夫、吉田仁
2013-2017 H25-H29  田野井一雄 伊東廣明、坂ノ上誠 児玉成時郎 佐藤則夫、吉田仁
2018-2019 H30-R1  田野井一雄 吉田仁  佐藤則夫  児玉成時郎



■港南剣友会の創立


港南剣友会の創立当時の様子やその後の歩みについて、少し詳しい紹介文があります。平成元年12月に「港南区剣道連盟20周年史」資料として、当時の長田良会長の下にまとめられた資料です。以下に平成元年当時の紹介文を転載します。


港南剣友会は、昭和45年7月港南区内に居住する剣道愛好家の善意により、港南警察署道場で主として小・中学生を対象として始められた。 当時港南区には斉信館道場があるだけであったので入門者がたちまち増え港南警察署道場では狭溢となり、昭和46年10月に道場を市立桜岡小学校体育館及び市立港南中学校体育館に移し錬成に励み、今日に至っている。

一方、顧問に蘭 与志男先生を迎え、初代会長に杠 文吉先生、指導者に木梨先生、藤巻先生、石渡先生、大井先生、その他数名の先生方、後援会は高橋源寿氏と会員の父兄にお願いした。

入門者は増え続け昭和46年300名、昭和49年400名、一時は500名以上にもなった。会員は港南区では遠く芹ケ谷・日野から、南区では別所・大岡から、そのほか戸塚区・金沢区からも参加し、桜岡小学校体育館では狭くなり二部制を始め、港南中学校体育館でも週1回稽古を始めたが追いつかず、日野方面の子供たちの為に昭和49年4月1日に荒木先生が港南剣友会を離れ、市立日野小学校体育館で日野剣道教室を設立し、昭和51年5月9日に横沢先生が野庭方面の子供たちの為に野庭消防署道場で港南信和会を設立、翌昭和53年に大井先生が芹ケ谷方面の子供たちの為に市立芹ケ谷中学校体育館で芹ケ谷剣士会を設立し漸く人員増に歯止めがかかった。

その後、方々に剣友会が設立されたので現在は大久保を中心に大人・子供たちの錬成に励んでいる。現在は会長に長田 良、副会長にあらい正己・たのい一雄・畑 一郎、指導者に木梨先生をはじめ7段1名、6段3名、4段5名、3段5名、2段5名が当たっている。

排出した優秀な剣士
 児玉成時郎 東海大付属相模高校在学中国体出場、現在国際武道大学在学中
 高橋 健二 実業団で活躍中
 幸田 隆  永谷高校体育教師
 宇田 正光 日大付属高校(日吉)在学中にインターハイ出場
 児玉 幸子 東海大付属相模高校で活躍中
 駒杵美恵子 PL学園で活躍中
 松本 朱美 阿蘇高校で活躍中



港南剣友会の歩み(平成元年)

港南剣友会創立当時、戦後から復興を遂げた日本剣道の黎明期、まだ剣道を学ぶ環境が組織的に整備されていなかった時代に、いかに多くの一般剣士や子供達が剣道を求めていたかが良くわかる紹介文です。かつては港南区のみならず、南区、戸塚区、金沢区からの参加もあったとあり、500名にもおよぶ会員を有する会の運営には、先生方や関係者の方々の大変な苦労が偲ばれます。 そのため、創立当初は「港南剣友会」とは別に、「港南剣友会後援会」があり、高橋源寿会長の下、先生方との連携によって会が運営されていました。



■創立当時の役員名簿

昭和47年10月同時の「港南剣友会名簿」がありました。役員名簿のみ、右に掲載します。(クリックすると拡大します)
「港南剣友会役員」と「港南剣友会後援会役員」の名簿が各々あります。直接的に剣道を教育する組織と、それを支援する組織が明確に分かれ、非常に手厚いサポート体制によって運営されていたことが良くわかります。

同名簿には小中学生の会員名も記されており、「上大岡町」「大久保町」「最戸町」「港南町」「日野町」「上永谷」「下永谷町」「大岡町」「別所・六ッ川・中里」「磯子」などの地区ごとに掲載されています。役員を含めると、その数、総勢300名強を数えます。

表紙

港南剣友会役員

後援会役員
尚、指導員として現剣友会の伊東先生のお名前(当時三段))も見られます。



■創立当時の会則・規約

また資料の中に、本当の創立当初である昭和45年7月26日付の「港南剣友会々則」の写しがありましたので、右に掲載します。

まだ手書きの会則で、全第12条からなる基本的な会則です。会則部分は4ページで、その他巻末2ページには、6項目の「剣道訓」と18項目の「練習心得」が記載されています。

会則には、当時の練習場所および練習日時として以下のように記載されており、現在の桜岡小学校に移る前の時代を伺うことができます。
 練習 大岡警察署 道場
 毎週 日曜日 少年部 午前10~11時 一般部 午前11時~12時
 毎週 金曜日 少年部 午後6~7時 一般部 午後7時~7.30時


S45 港南剣友会々則

更に、稽古場を桜岡小学校体育館に移した後、昭和47年8月1日付の「港南剣友会会則」および、昭和47年7月1日付の「港南剣友会後援会規約」を右に掲載します。

「港南剣友会後援会規約」には「目的」として「本会は、港南剣友会の青少年会員の健全なる心身の育成を図るため剣道指導の教士先生と協力しつつ、同会の推進をはかることを目的とする。」とあり、当時300名を超える会員を持つ会の運営に重要な役割を果たしていました。




S47 港南剣友会会則


S47 後援会規約


■港南剣友会報

見える形での港南剣友会後援会の業績のひとつとして、「港南剣友会報」の発行が挙げられます。資料として残っているものに、昭和48年1月1日付の「第1号」から、昭和54年6月1日付「第23号」までがあります。 途中飛び飛びでしか残っておらず、その全容は明確ではありませんが、初代会長杠文吉先生、後援会長高橋源寿先生を中心とした、様々な訓示や剣道教育に関する情報、剣友会で催された種々の大会やイベントなどの報告や告知が盛り沢山の内容となっています。おおよそ3ヵ月ごとに年4回のペースで発行されていました。港南剣友会創立当時の活動や、先生方の指導、熱意がつぶさに分かる歴史的にも非常に貴重な資料ではないでしょうか。

右の写真をクリックすると第1号から第11号までの会報がPDFで表示されます。(5.5MB) 残念ながら第8号は残っておらず含まれません。第12以降も飛び飛びで残っていますが、今回掲載は割愛します。


港南剣友会報1-11



■杠会長剣道座談覚え書

初代会長 杠(ゆずりは)文吉先生の座談を取りまとめ、高橋生 先生が執筆した「杠会長 剣道座談覚え書」が、会報特集として残されています。

杠文吉先生の横顔から、剣道の指導方針、現代剣道の意義、修得の目的と効果、指導方針など、杠先生自身の出身から剣道に対する考え方などが詳細に記述されています。更に、「葉隠と剣道」や、「剣道流名考」として、各剣術の流派を通した日本剣道の考察など、剣道の歴史を含めた非常に深い内容となっています。

巻末に(参考資料)として剣道史、武道史の参考文献名が多く記載されていることから、高橋生 先生ご本人が研究調査された内容も多く含まれていると思われますが、杠先生の人となりや、剣道人としての教養を得るためにも貴重な資料となっています。



杠文吉初代会長

杠会長剣道座談覚書



■少年剣道教材配当表

昭和47年4月1日付の資料として、「少年剣道教材配当表」があります。稽古場を桜岡小学校体育館に移して活動を開始した翌年度、小学3年~6年を対象として4月から翌年3月までの1年間、毎週2時間、毎月8時間の指導を行うことを前提とした詳細な指導計画です。その内容な学年ごとに毎月何を指導するかを個々に立案計画されたもので、当時の先生方の熱意を感じさせるものです。また、多くの子供達を正しく指導していくための責任も、非常に重く受け止めておられたものと思われます。

少年剣道教材配当表



■港南剣友会指導要綱

昭和51年1月1日付、杠文吉会長の下で「港南剣友会指導要綱」が発行されました。

 「制定の目的、理由」として要約すると、戦後の全日本剣道連盟においては大網的な統一はなされているが、剣道の細部にわたる指導要領が示されておらず指導者によって相違があり、少年学習者が迷い、進歩の妨げになりかねない。したがって、港南剣友会における剣道指導の準拠すべきものを全日本剣道連盟の諸規則に依拠しながら制定し、指導者により異なる指導と学習者の迷いを無くし、指導者の進歩向上にも資する目的があると記載されています。

その内容は「剣道についての考え方」「指導方針」「指導要領」と分かれ、更に「指導要領」では「道場における作法」「稽古における作法」「稽古の方法、順序」「わざの指導」「剣道講話」と具体的かつ実践的で、今なお参考とすべき内容となっています。


 
港南剣友会指導要綱



■錬成大会と剣道まつり

港南剣友会で最も大きな行事として毎年10月末に開催される「少年剣道錬成大会」と、毎年5月5日に開催される「少年剣道まつり」があります。「少年剣道錬成大会」は創立初年度から開催され、2019年 令和元年で第50回目の開催を数え、「少年剣道まつり」は同じく第48回を開催しました。

【少年剣道錬成大会】

現在でも午前に剣友会内部での試合、午後に招待団体の試合を行っていますが、創立当時はより盛大な大会であったことがうかがえます。プログラムは第三回大会のものから残されていますが、その「大会次第」には、日本剣道形の他に居合道、薙刀形、抜刀術、模範試合、掛り稽古なども含まれています。また、第四回大会の実施要領には「参加」として「港南区隣接地区十団体」、「人員」として「五百名」とあり、相当な規模の大会だったことが伺えます。

尚、錬成大会のプログラムは、第1回、第2回の他に、第13回と第27回が残されておらず、もしお持ちの方がおられましたら、寄付を頂けると幸いです。


第3~5回プログラム

第四回錬成大会実施要領
【少年剣道まつり】

少年剣道まつりについては、昭和48年の第2回大会からプログラムが残されていました。それによると、通常の試合の他に、吟舞”白虎隊”、日本剣道形、居合、なぎなた演技、模範試合、銃剣術対剣道など、演武やイベントなども今以上に盛沢山だった様子がうかがえます。
昭和49年の第3回大会では、「港南剣友会の歌発表」のイベントもありました。また第3回大会の実施要領の資料も残されていました。(右写真) 当時の先生方や役員の方々、そして皆勤・精勤者のお名前など、今では貴重な資料です。

第2~7回プログラム

第三回大会実施要領



■剣友会の枝分かれ

上で述べた平成元年当時の港南剣友会紹介文には、一時500名にもおよんだ会員の稽古場を求めて、杠会長以下先生方が大変腐心されていた様子がうかがえます。その対応のため、横浜市の学校教育関係者の方々と幾度となく懇談会を行い、状況を打開するための努力が行われていました。右写真は、昭和47年7月1日付で、7月8日の懇談会開催を案内する書面です。この他にもいくつかの懇談会の案内状が当時の資料の中に残されています。

そして、上の紹介文にもある通り、稽古場を求めて日野方面、野庭方面、芹が谷方面などへの剣友会の枝分かれが進められて行きました。




懇談会の案内状
【芹が谷中学校体育館借用の陳情書】

当時の資料の中に、港南剣友会後援会の高橋会長から、横浜市立芹が谷中学校の校長宛てに出された「体育館借用に関する陳情書」がありました。日付が記載されていないのですが、文面には「会員数四百八十名」とありますので、昭和49年頃かと思われます。 まだ新設されたばかりの芹が谷中学校の体育館を使わせてもらいたい旨の陳情には、当時の港南剣友会の活動の様子も記されています。また、「教育委員会 社会教育 東條係長」の推薦を頂いている旨の記載されており、教育関係者との懇談会で培った人脈の成果ではないかとも思われます。



芹が谷中学への陳情書
【野庭出張所体育館借用の陳情書】

港南消防署長宛てに「青少年剣道錬成場便宜供与方お願い」として、野庭出張所体育館の借用を陳情する書面もありました。こちらは昭和51年4月12日付となっています。

 
港南消防署への陳情書


■近隣との交流

【高野道場 高野武先生 範士称号祝い】

昭和52年6月28日付け、港南剣友会一同より、剣道八段範士の称号を受けられた高野道場の高野武先生宛てに、お祝いのお手紙が残されていました。また、その返事のお手紙も同様に残されています。

高野道場は金沢文庫にあり、当時剣道道場連盟の事務局を務められていた関係から交流がありました。高野道場ホームページによると、高野武先生は剣聖高野佐三郎先生に師事され、神奈川県警に奉職。神奈川県剣道連盟では長年にわたり理事・理事長・会長を務められ、文部大臣や全日本剣道連盟からも表彰。範士九段 享年80歳と記されています。

※本稿の掲載は、高野道場様のご了承を得ています。

高野武先生八段範士称号祝い

高野武先生からの返礼


【港南台剣道クラブ発会記念大会】

昭和52年5月22日に開催される「港南台剣道クラブ発会記念」大会の案内状が残されていました。こちらは「洋光台剣道同好会」「日野東部剣道同好会」から分かれ、荒木敏治先生、加藤利夫先生の指導のもとに、同昭和52年4月に発足した旨が記載されています。近隣の剣友会発足にまつわる資料です。

港南台剣道クラブ発会記念大会


【横浜リバティライオンズクラブ】

昭和49年7月24日付け、横浜リバティライオンズクラブの川嶋国一会長より、トロフィー贈呈の目録が残されていました。現在も港南剣友会少年剣道錬成大会の際に最優秀選手に手渡されるトロフィーのルーツがここにありました。 高橋源寿後援会会長の交流の広さがうかがえます。 

横浜リバティライオンズクラブ目録



■レクリエーション

創立当初から、通常の稽古以外にも剣友会の活動が活発に行われていました。その活動が数々のレクリエーション活動で、写真の他にも案内やスケジュール表などが残されています。

昭和48年、49年の横須賀武山 陸上自衛隊での合宿錬成、昭和52年北九州一周の旅、昭和53年白虎隊で知られた会津若松での剣道合宿、昭和57年秋川渓谷で水遊びをしよう!、昭和58年大平青少年キャンプ場 など。写真には、その他昭和50年、61年の勝浦合宿なども残されています。

レクリエーションの様子は、「懐かしの写真」のページをご覧下さい。


各種レクリエーションの案内



■排出した優秀な剣士 児玉成時郎先生

上で述べた平成元年版の港南剣友会紹介文章に、「 排出した優秀な剣士」として、
 「児玉成時郎 東海大付属相模高校在学中国体出場、現在国際武道大学在学中」
が挙げられました。


児玉成時郎先生は幼少から港南剣友会で稽古を積まれ、多くの優秀な戦績を残されましたが、特筆すべき戦績として昭和60年12月27日に、国際武道大学開学記念兼日本武道館開館20周年記念として開催された「若潮杯争奪武道大会剣道競技」での団体戦優勝が挙げられます。その様子は「剣道時代」の1986年昭和61年2月号に詳細な報告記事が掲載されています。
※体育とスポーツ出版社様より、転載の許諾を得ています。

児玉成時郎先生は、お父様の裕由先生とご子息の悠矢君も含め、親子三代で港南剣友会で稽古をされています。




剣道時代1986年2月号

父裕由先生と優勝記念写真
また同じく「優秀な剣士」として紹介された
 「児玉 幸子 東海大付属相模高校で活躍中」
 「駒杵美恵子 PL学園で活躍中」
 「松本 朱美 阿蘇高校で活躍中」
については、児玉裕由先生が執筆された寄稿にエピソードが記されていますので、「想い寄稿」を合わせてご覧ください。
 

ちなみに。
錬成大会の際に正面に掲げられる「祝 少年剣道錬成大会」の横断幕は、児玉裕由先生が制作されました。この横断幕は第5回大会頃から大切に使われているもので、港南剣友会の宝です。
 
小学生時代の児玉さん、駒杵さん
中央は成時郎先生



■タウンニュース紙での活動紹介

港南剣友会の活動は、過去何度か地域の総合情報誌であるタウンニュース紙で紹介されています。ここでは、比較的近年になりますが、その紹介記事をご覧頂き、現在の港南剣友会の活動の一端をご紹介します。その他、現在の港南剣友会の活動全般については、「活動紹介」をご覧下さい。
※株式会社タウンニュース社港南区・栄区編集室様より、掲載の許諾を頂いています。

【初稽古にさわやかな汗】

平成21年1月15日版。 平成21年1月10日に行われた初稽古の様子を紹介した記事です。田野井会長、伊東先生の新年のお言葉なども紹介されています。

平成21年1月15日版
【子どもの交流で支援 被災地に手作りパズルを送付】

平成23年8月18日版。 2011年平成23年の3月11日に発生した東日本大震災で被災された、石巻市立谷川小学校の子供達との交流が紹介されています。港南剣友会から谷川小学校に、50枚のはがきに描いたひまわりの絵を送り、パズルとメッセージで希望をお届けしました。

平成23年8月18日版
【石巻の剣士を招待 合同稽古と試合を実施】

平成23年12月1日版。 同年12月12日、13日に石巻市の湯殿山剣道スポーツ少年団を招待し、合同稽古や錬成大会を通じて交流を持った様子が紹介されています。招待した子供達は、横浜観光も楽しんで頂き、剣友会の子供達に被災地の状況などを教えて頂きました。

平成23年12月1日版
【留学生が剣道体験 LC事業に剣友会が協力】

平成26年8月26日版。 ライオンズクラブ国際協会が実施している青少年交換留学で受け入れた海外の学生が日本の文化を学ぶ一環として、剣道体験を応援しました。7月22日八王子の大学セミナーハウスで行われ、剣道体験後は剣友会の子供達と一緒にバーベキューで親交を深めました。事前準備や体験当日は、英語が堪能な井上先生ご夫妻が中心となり対応に尽力されました。


平成26年8月26日版


残された資料をもとに、創立当時の港南剣友会を振り返り、少しだけ近年の港南剣友会の活動もご紹介しました。創立当時、杠会長および高橋後援会長ほか関係の方々のご苦労は大変なものがあったと思いますが、同時に子供達を思う気持ちと努力創意工夫は大変素晴らしいものでした。それらは、上にご紹介した各種の資料から容易に読み取ることができます。実はご紹介したい資料はまだまだ沢山あります。長田会長の時代に発行されていた「港南剣友会だより」や、大会準備資料、審査会関連資料、総会資料などからも、各々当時の様子をうかがうことができます。それぞれに先生方や役員の方々の大変な苦労が見て取れます。創立50周年を迎えることができたのは、それまで港南剣友会に関わってこられた全ての方々の努力と熱意の賜物であると、改めて強く感じる次第です。

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